臨床家としての私の理念--(株)足と歩きの研究所 入谷 誠

私が臨床家として患者様と向き合うようになってから31年になります。18年間勤務した大学病院、そして1年半勤務した会社を経て、独立し11年を過ぎ現在に至ります。この31年の臨床の中で、私なりに臨床家としてあるべき姿が見えてきたように感じています。今回、「臨床家としての私の理念」というテーマで、素直な私の考えをお話させて頂きます。

医療の目的とは

 医療の本来の目的は、「身体的および心理的、社会的に悩んでいる患者様に対して、医療的な専門立場からこの悩みを軽減または解消させること」にあります。医療そのものが一点の曇りもなく、そこに目を向けるべきものであると考えています。つまり、医療が目指すべき方向は患者様一人一人に対して目を向け、常に患者様の視点から医療を行うべきものであるという認識が必要なのです。

臨床家のあるべき姿

 臨床家は医療の中で最先端にいるべき集団であると私は考えています。そして、患者様一人一人に対して目を向け、医療が目指すべき方向に向かい続ける集団でなければなりません。したがって、臨床家への評価は、「目の前の患者様の症状をいかに解消させることができるか」というその一点に尽きます。このため、臨床家の技術、そしてその背景にある知識は、患者様の満足度のためにあるのだと私は思います。いくら影で勉強しても、また努力しても、いい内容の研究をしても、それはあくまで“枝葉”であって、決して臨床家としての本質的な評価になってはならないと思います。私自身「目の前の患者様の症状をいかに解消させることができるか」という一点に目を向け、自分自身を評価してきました。そして、臨床家として成長するためにはどうあるべきかを追求してきたように思います。

成長とは仮説と検証の繰り返し

臨床と真摯に向き合い、思い込みを捨て、素直に患者様を診ていれば、臨床ではたくさんの疑問や壁に当たります。これらの疑問や壁に対して仮説を立て、その仮説に対して検証していく作業が、臨床家として成長するためには最も必要なことであると考えるに至りました。そして、仮説と検証を繰り返すことで、臨床を行う上での“幹”となる概念を見出すことができるのだと思います。

技術を受け継ぐために

 研究の分野においても同様なことがいえます。近年では、医療本来の目的に反映するような研究は少なくなり、学位をとるための研究や、研究のための研究が多くなってきているように思えてなりません。本来、研究は仮説に対する検証を行うための手段であるべきなのです。すなわち、研究とは定性化あるいは定量化したものを通して、ある法則性を見出すためのものなのです。この法則性から、次の医療への可能性に繋がり、さらなる研究によって次の法則性を見出すという循環が必要なのです。この循環よって、医療の質が向上していくのだと思います。
 また、臨床家は医療のプロである以上、成長によって得た技術と知識を形にし、それを後世に受け継いでゆかなければなりません。それが多くの臨床家の成長に繋がり、最終的には個々の患者様に還元されることになるからです。

 以上が私の臨床に対する考えです。私は常にこの考えをもって臨床と向き合ってこれたことに誇りを持っています。そして、これからも生涯を臨床に注ぎたいと思っています。
 特に、若い臨床家には、自身の臨床結果に誇りを持てる臨床家になってほしいと切に願っています。

2010年1月5日 (株)足と歩きの研究所 入谷 誠